Jul 29, 2018

遺伝

息子は自閉症スペクトラムであった。

生まれてから4歳まで毎晩3、4回の夜泣きに苦しめられた。
3歳から月に1度の療育に通い、小学校に上がってからは支援級に通級している。
IQは高いのだが、生活力に欠ける。

未来を案ずるのである。が、本人の生命力に賭けるしかないのかとも思う。

思えば、私も発達障害の気がある子どもだった。 嫌なところが似るものだ。

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Apr 07, 2018

主夫

妻が家事をできるわけもなく。
家事、育児は100%やってきた。

料理はこの8年でかなりうまくなった。
洗濯はそんなに苦にならない。
掃除だけは元から苦手で今でもキレイにはできない。

育児は大変であったが、その分だけ一人で育てあげたという自負がある。
保育園では遠足のお弁当から保護者会はもちろん、父母会の役員まで。
小学校でも保護者会、PTAの役員など母親が出られない分を私が全部カバーした。

もう9年この生活を続けている。

苦労した分だけ楽しいことも多い。
妻はそのすべてに関われていないので、むしろかかわいそうとさえ思う。
結局の所、充実した8年であった。

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Mar 21, 2018

狂気

息子1歳の時に妻は育児ノイローゼから産後うつになった。

病状は悪いまま推移し、その2年後には自傷を繰り返すようになる。
手首はギザギザになった。
オーバードーズで救急車で搬送され集中治療室で朝を迎えたこともある。
隔離病棟に3ヶ月入っても、普通の状態には程遠い状態であった。

それは狂気と過ごす9年間であった。

支えることは苦しく。
前妻の苦労を思い知る日々である。
自分がとおった道だからこそ、耐えることができているのかも知れない。

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Mar 14, 2018

出世

管理職になった。

今や一部上場企業の部長の職にある。

復職時にすべての役職は外されたのであるが、また10年かけて一歩一歩登った結果である。

実は最初の役職に登るのには、とても時間がかかった。
人事もちゃんと仕事をしているということであろう。

登る度に割に合わないとも思うのであるが、それなりに収入にも繋がる。
家族持ちとなった今はありがたいことである。

長期休職者初の管理職であると思うので、希望にもなり得るのかなとは思う。

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Feb 28, 2018

薬リスクの取りよう

薬は8年前のままである。
いまだ飲み続けている

2001年からであるから、もう18年こうして抗精神病薬を飲み続けていることになるが、そのリスクと言うべきか、コストと言うべきか、不利益よりもメリットの方が勝っている。

テグレトール、エビリファイを飲み忘れたときには、体調と気持ちのコントロールが難しくなる。
音が半音下がることやγ-gtpが上がってしまうことなどは取るべきリスクである。

コンスタンなしでは眠りが浅くなる。
これも耐性が付く様子もないし、飲まないで居る理由がない。

一番の不利益は保険に入れないことであろうか。
住宅ローンの団体信用生命保険が入れないのであるが、最近はワイド団体信用生命保険というものがあり、この程度の薬であればお金で解決ができる。

すべてはコストパフォーマンスなので、今の生活の中ではパフォーマンスが大幅に上回っていると言えるだろう。

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Feb 21, 2018

8年分の事柄

人生はいろいろなことが起こるものだ。

この8年のことを語ろう。

躁うつ病の底から社会に復帰して10年の節目に。

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Aug 17, 2010

決め手

何故私は社会に復帰できたのであろう。
今でも時々考える。
飲み歩くことがなくなったからだろうか。それは一要因ではあると思う。
薬によってだろうか。それも違うと思う。
薬は復帰するためのベースを作ってくれるのであって、それだけでは社会復帰はできなかったと思う。

エビリファイとアナフラニールで体調的にはよくなってきていた頃。それでもまともに勤務せずに週に2、3日、それも午後から出勤していた。それまでの惰性である。
これを断ち切ることができなかった。

そのときにある人から強く叱咤激励を受けたのである。
うつ病に厳禁と言われる「がんばれ!」である。
その翌日からきちんと勤務できるようになった。
このときの私はもうがんばれるだけの体調は備わっていたのである。
最後の一押し。
そんな感じの言葉であった。

だから、そんなもう一息というところにある人たちにあえて言いたい。
がんばれ、と。
あなたはもうがんばれるのだから。

また、しばらく、さようなら。

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Aug 15, 2010

それでも飲みますか?

私は酒飲みである。

ここで白状するが、病気の間も酒に逃げていた。
地獄のようなうつの中でも、夜が来る頃には気分もましになった。
毎日バーに出没しては常連の飲み仲間と酒を酌み交わす。
朝まで飲むこともあった。
翌日がどうなるかは推して知るべしというところである。
体調は低空飛行を続けることになる。
これがよいことだろうか?

ある日、ついに毎日飲み歩くのをやめることにした。

その日を境に体調はみるみる回復していった。
身体的な体調もそうなのだが、精神的な体調も併せてよくなっていった。
薬がよく入っていってくれる感じであった。
このタイミングでアナフラニールとエビリファイに出会えたのも幸福であった。

すべての躁うつ病と闘っている人に伝えたい。
アルコールは間違いなくマイナスであると。

アル中でない限り断酒まではする必要はないと思うのだが、毎日痛飲を繰り返すような行為は間違いなく回復を遅らせるのである。

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Aug 13, 2010

整理整頓

実は今年になって元々勤めていた会社はなくなってしまった。
吸収合併により親会社に吸い込まれてしまったのである。
これは実質的に親会社による人員整理である。
親会社に異動になったのは3分の1で残りは退職となった。
私は親会社に異動となった。
これが幸いなのかはしばらくたってみないとわからない。

復職時に会社側として対応していた人も逆に退職となってしまったようだ。

今のご時世は一寸先は闇である。

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Aug 11, 2010

幸と不幸

再婚した。別の人とである。
また息子を得た。
今は1歳の息子に絵本を読んでやることが日課になっている。
子供を育てる環境を整えるために自宅を購入した。
手帳を持っているため普通の銀行系の融資は受けられなかった。
新規に生命保険に入れないことが原因のようだった。
結局、旧住宅金融公庫でローンを組むことができた。

子供を失い。妻を失い。職まで失いそうになっていた当時から考えると、まるで夢の中にいるようである。
生きてみるものである。
その先にはいいこともある。

もちろん悪いこともある。実際に去年は父と祖母をなくした。
人生の総和をとると限りなく0に近づくのでないかと思うのである。

それが偏ってしまう時期がある。
病気の時期とあってしまったのが不幸ではあったかもしれない。
ただ病気がひどかった数年間は私にとって財産である。
このことも確かであるので、最終的にそれが不幸であったかは、これはもう死んでみないとわからないのだろう。

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